大分県佐伯市 腰痛・肩こり・膝の痛み等 運動器疾患専門鍼灸院

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郵便受けに小さめのカタログのようなものが突っ込まれていたので、なんじゃらほいと開けてみたら、問題になったカレンダーだった。六曜が記載されているから、駄目!と、一時は発禁処分でお蔵入りになりかけた、曰く付きのものである。

全国板でニュースになったから、ボーっと過ごしている私であるが、いったい六曜の何が問題なのだと調べてみた。(ググっただけだけど) しかし、一向に要領を得ない。 関連したニュースばかりで、理由が見当たらないのだ。 一件だけ、福岡の私大の教授が著したものを要約したPDFを見つけたので、勝手に抜きだしてみる。

Ⅰ 浄穢という差別的観念を温存し、「ならわし・しきたり」に無自覚に従う人々が存在する。

Ⅱ 「生まれによる差別」は、運命的に与えられた個人の変更不可能な条件をもってする差別であるがゆえに、野蛮で、乱暴で、狭隘で、停滞した精神的、知的世界の所産以外の何ものでもない。 

Ⅲ 「六曜」や「血液型」など、根拠に乏しい迷信が、現在の科学技術の進歩した日本社会に現存することは、それで「利益」を得る者の意図するところではないか。迷信を信じ、或いは捨てきれずにいる精神文化は、まさにあらゆる差別を温存助長していることに密接につながっている。

ただでさえ要約したものから、そこから更に読解力に疑問が多い者が要約して抜き出し、あまつさえ少し弄っているのだ。コピーのコピーで、原本からの劣化は凄まじいのだが、このさい細けぇことはご容赦ねがおう。大丈夫、だいたいあってる・・・はず。

さて、どうだろう? いきなり「浄穢」が差別的観念となっている。Ⅱは、仰る通りだと思う。Ⅲは、途中までは、そういう見方もあるのかとも思うが、「迷信を信じる精神文化が、差別を温存することにつながる」って、ちょっと乱暴すぎるように感じる。
迷信を信じる人って、信心深くもあって、だからこそ謙虚で人に優しいイメージがあるんだがなぁ。そりゃ、この教授の言うように、逆もあるだろう。何事も裏表はあるものだ。でも、負の側面だけにバイアスが掛かりすぎてやしないだろうか。問われるべきは心の方向性であるはずだ。

おそらく、この人の倒したい本丸は「穢れの思想」なのだと思う。 「穢れ」は、死や疫病など、あらゆる負の概念から生また、原始的な「思想」と呼んでよい。また、世界中に類似したものがみられるので、人の感覚として、よほど相性が良いと思われる。 失礼だが、とても太刀打ちできるものではないだろう。

ならば逆手にとってはどうだろうか。差別する心というのは、きわめて醜いものである。だったら、もう一歩進んで「差別は穢れである」とするのだ。
「馬鹿って言うほうが馬鹿なんだからね」とよく言い返されたものだが、これは少なからず真実を含んでいる。身をもって知るところである。

考えてもみてほしい。他者を理由なく「穢れ」と貶める心のなんと穢れていることか。

差別を根絶したいということには賛同する。大賛成である。しかし今回の騒ぎは、そのための活動が、あまりにも的を外しているように感じる。私の見識の低さゆえなのだとは思わない。
「迷信を信じ、慣習に無自覚に従うことは、差別を産む温床になる」などと聞いたら、???ってなるのが、私の感覚である。無自覚なことは否定できない。
だからといって、意識や見識が低いと指弾されるならば、大きなお世話要らん世話である。

佐伯という土地は大分県の中でも、のほほんとした土地柄で、行政がからまなければ、所謂差別問題など無縁だったはずである。少なくとも、本来の部落差別など忘れてしまって、何のことかわからない者ばかりになっていたに違いない。ここで差別云々言うのは不自然なのだ。なるほど、「それで利益を得るものの存在」を勘ぐってしまう。

都会に嫁いでいった佐伯出身者が、集落を意図するつもりで、「うちの部落では云々」と発言して周囲を凍りつかせたという話を耳にしたことがある。似た話はあちらこちらで聞いた。佐伯者の意識に、部落差別が欠落している証左とするには足りないだろうか。 
 
かつて原発の震災時に宮城県知事を恫喝した復興大臣がいたけれど、ああいう被差別者を食い物にする屑と間違われないためにも、差別問題で活動される方たちは、どうか慎重に物事を見極めていただきたいと願う。尊い活動にエールを送らせていただく。

ともあれ西嶋市長、good job!

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