大分県佐伯市 腰痛・肩こり・膝の痛み等 運動器疾患専門鍼灸院

あのくたらさんみゃくさんぼだい

あのくたらさんみゃくさんぼだい

まともにテレビを見なくなって久しいけれど、NHKでSFっぽいドラマをやってるのを見かけた。「さよなら私」というやつ。

ずいぶん昔の子供向けドラマを焼き直したもので、ぶつかった拍子に人格が入れ替わるという古典的な内容だけど、大人でやると色々と作れることが増えるのだろう。モチーフは荒唐無稽なものだと感じる。

女優さんは永作博美と石田ゆり子。石田ゆり子、流石に歳食ったなぁ。それにしても、永作博美の若々しさは凄いな。美魔女ってやつですね。

彼女ほどコケティッシュという言葉がハマる人はいないでしょう。
笑うと三日月になる目が好きだ。 

置いといて、人格が入れ替わるなどということは聞いたことがない。そもそも人格とは何か? 個々の意識が持つ個性と言ってよいと思う。

自我とほぼ同義ではないだろうか。表現の角度が違うだけだととらえる。 

意識は脳の機能とされている。ならば、「自我は脳の機能、あるいはその産物である。」と言えるはずだ。

脳みその配線具合いと記憶を主とした情報が有機的(便利な言葉だw)に絡み合った結果が自我ということになる。現象と言いかえてもよいだろう。

ちょっと待った、私が現象なんて気の利いたセリフを思いつくだろうか? ああ、思い出した。あれだ、宮沢健二の「春と修羅」の冒頭部分。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

賢治、ごめん。 
青臭いとかナルシストとか言っちゃって。 

40年近く経って、ようやく貴方の一端を理解できたような気がします。今読むと、とても味わい深く気持ちの安らぐ詩ですね。

それはともかく、自我が現象に過ぎないというのは由々しいどころの騒ぎではない。

前の記事で、お釈迦様が宇宙とは空であると説かれた云々書いたが、ちょっと他人事な気分でした。これはシャレにならない。

あわてて調べる(ネットでw)と、さらに絶望的な事をみつけてしまった。

釈迦曰く、「私とは錯覚である」「人生に意味などない」

せめて、「私とは空である」なら、まだよかった。あまりにも表現が直截的過ぎて、ダメージが大きい。

デカルト「我思う、故に我あり」

釈迦「それ、錯覚だから」

笑えない。

まずいことに両者は矛盾しない。錯覚が在るとはあまり言わないが、在ると有るはほぼ同義で、ちょっとしたニュアンスの誤差しかないようだ。

借り物の材料で練り上げた泥粘土細工のような話だけど、自分でやっといて己が押しつぶされそうなのは滑稽このうえないですね。

受け入れがたい。もう、仏教徒やめちゃおうかな・・・・あ、無宗教なんだった。(涙)

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